2018/02/26

1963年生まれの幼少時の記憶


1963年
50年以上前の出来事です。僕は3番目の子として産まれてきました。上には姉、兄がいて7年もあいて産まれてきたようです。
それから5年もたたないうちに、父親がいきなり亡くなっていなくなってます。
このころの 記憶はそう多くはありません。写真がたくさんあればいいのですがほとんどありません。今の時代は簡単に写真や動画が残せるのでいいですよね。

姉に聞いた話ですが、餅が好きだったらしく自分で焼いて食べてたそうです。
当時は、七輪でお湯を沸かしたり、料理をしていたそうですが、今みたいにキッチンとは言わず 炊事場と言ってたらしい。なので、想像になりますが聞いた話で絵を描いてみました。当時はうちの祖母は食堂をやってたらしく、母が時々話してくれますが覚えてるわけもありません。が、そこで暮らしてたようです。


でも、いくら考えても’63~’68の間の出来事で、0歳~4歳までの事です。年齢的に無理だと思うのですが…
’68の4月までという決め手は、父がこのとき 亡くなっています。そのとき 産まれた家から違う家に引っ越ししてたから期間は間違ってないようです。
それと、ひとつ自分の中にもこの間の記憶があります。
それは、引越してた小屋のような家から500mくらい離れたところに、タバコ屋があって、その店にはお菓子も売っていました。
当時は、お菓子をビンにいれてて、はかり売りしてたんです。
「おばちゃん、30円がとちょうだい」※2 みたいな事を言ってたのでしょう。
父はたばこのハイライトを吸ってて、70円か80円※1で売ってました。100円もらって残り30円分お菓子を買うという「おつかい」をしてた記憶はたしかにあります。おそらく4歳くらいの時でしょうか。
※1 調べてみるとこの年代は1箱70円で、’70に80円になってます。発売されたのは’60でおそらく 父は新製品にすぐ手を出してたと云うことがわかりました。父は35歳前後の頃ですね。
※2「30円がとちょうだい」とは、「30円分、ください」の意

お菓子は、4~5cmくらいの長さで塩をまぶしてあるもので 今でも売ってます。コンビニで見つけて来ました。ビスケットですね。他にこんぺいとうとかぼんたん飴なんかもあったと思います。ちなみにぼんたん飴は嫌いです。
シガーフライという名で今でも売ってました。


当時は、道も舗装されてなくて 至る所に草がはえてて途中、クロヘビに出くわしたり怖い思いをした記憶があります。
クロヘビは、おそらくシマヘビの仲間で毒はもってないのでしょうが怖かったです。
帰りは用水路というか 小川を歩いて帰る時もあって、ここでもへびが泳いでる姿をみています。


父がいなくなるまでの記憶はこの程度でした。この間4年ちょっとです。3歳になる直前に家を引越した事が姉の話でわかりましたので
餅のエピーソードは前の家の事で、たばこの事は引っ越し先の出来事です。
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