2018/05/07

1963年生まれ1994年の末頃からの出来事。ギックリ腰


1994年の末頃、千葉県の長期出張で応援要員で行きました。
期間は春までだったと思います。途中 年末年始があったので 帰りますが 帰ったところで誰も居ないマンションに帰るだけです。
それでも、宿費が発生するので帰らなければなりません。
年明け、正月休みも終わりまた 千葉へ向かいました。この時もたしかフェリーで神戸まで行って あとは高速道路を通って数時間かけて行ってます。
千葉について1週間ほどたったとき、宿の大浴場にいたときですが なんか フラフラっと感じたんですが、熱があるのかなぁと思ってました。
でも、朝 起きてみると みんながテレビを見て騒いでたので 昨日のフラフラって感じの意味がわかりました。地震だったんです。
阪神大震災があったんです。数日前千葉に行くときに通った高速道路も倒れてる映像を見ました。

仕事は差し支えないので平常どおりでしたが 高速や新幹線は機能してなかったはずです。
地震があってから数日後、僕は大工さんとして 応援に行ってましたが グループの責任者でもあったので れんが積みをしてるところが忙しければ手伝います。
そのときに れんがを手渡しして れんがやさんが 積んで行くのに れんがを取ってあげてました。
持ち上げた瞬間 身体に電気がはしったような感覚を覚えます。ピキッて音も聞こえた様な。そうです 腰をやってしまいました。
なんか 汗がすーっと落ちたみたいです。
はじめて 立ち上がることが出来ない痛みでした。ほかの作業してる人が驚いて「監督さん大丈夫ですか?ギックリ腰じゃないですか」といわれ グループの人に抱えられて 宿に帰ります。
そんなに重いものではなかったのですが 姿勢が悪かったということです。
和式のトイレにはほんと、困りました。
2~3日安静にしてれば 大丈夫だろうと思ってましたが 歩くのがやっとで 風呂に入ると温まるのか痛みは和らぎましたが 腰を下ろすまでが大変で 同じようにトイレが和式だったので大変でした。
それに 靴下もはけないし 靴紐も結べません。
昼間は、グループの人も仕事に行って誰もいないけど 帰ってきたら色々と面倒みてくれましたが 足手まといそのものです。仕事もしてないのに宿代もかさみます。
それが 気にかかって会社に相談し 自宅に帰るとなったのですが 震災の為 帰るには飛行機でしか帰れませんでした。千葉の会社は宿代のこともあったし 役にたたない人間はいらないので
飛行機で帰る事に承諾しました。(飛行機を使って移動するなんてほぼなかったことです(海外や北海道とかならあったかもしれませんが))

飛行機で羽田から九州に帰り、しばらく療養することになりました。
また、前にも行った裸の針治療や 整体、接骨院などにかかりました。姉の友人の紹介で 久留米のほうにある接骨院がとてもいいと聞いてそこにはじめて行って ようやく仕事もできるように治りました。
千葉の仕事は終わりがけだったので僕はもう 行かなくてよかったと思いますが、記憶の中ではまた行った気がします。
千葉の現場は、北九州(僕のグループ)からと 東北、奄美大島のグループが応援で集まってましたが 朝礼でよく 困ったことはないかと聞かれてたときに
僕は、ほんとに 方言で困ってましたから そう言ったんですけど、東北の人たちから「あんたの言葉のほうがわからんわ」などと やりとりした覚えがあります。
監督としては、どこに行ってもいつも年下でしたからそういう風に交わされてました。
千葉県は市原市というところに 宿があったので 町はそう賑やかではなかったけど だいたいなんでも揃ってるところで 遊ぶところも結構ありました。

千葉県に居るとき、はじめて低周波治療器を買ってしばらく使ってみたんですが、これがまた気持ちよくてよく使ってました。初めて買ったのはサロンパスの「ぐいもみ」という製品で パットの部分がひとつだけでコントローラー部分がコードにつけて使うことも 直につけてつかう事もできるもので コードが邪魔にならないという利点がありましたけど、数年間 毎日使うものではないのでパッドがそのうちにくっつかなくなって 新しい交換用のパッドを探しましたが 見つからなくて面倒なので どこにでも売ってるオムロンの低周波治療器に買い換えました。
あるうわさを聞き、実践してみましたが 偶然でしょうが成功
そのうわさとは、これをしてパチンコをすると当たるということです。
この治療器の購入は先だったんですが、実質 タダになりました。
まぁ 何年間も経ってますけど。

ちなみにこの年に 阪神の地震とオウム真理教の地下鉄サリン事件もありました。

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