1985年の春、当時3交代の仕事をしてました。
家には 嫁は出産が間もないので実家に帰ってました。
いない間は、会社の人の家によばれたり 仲のよかった人とワイワイやってましたが 夜勤明けの時に 嫁の姉から連絡があり 陣痛がはじまったので病院に運ばれたと聞きます。
すぐに病院にいったけど 嫁はまだ笑顔で生まれてくる気配もないようでした。
しかし、出産予定日よりかなり遅れてましたから、今日明日には生まれると病院の人に言われます。
昼になるまで、何度か分娩室に運ばれて戻ってと繰り返されましたが、姉もおなかすいたねって言うので、僕はひとりで外の弁当やさんに買い物に出かけました。すぐ近くだったので時間はそんなにかかってないです。
病院に戻ると もう既に生まれてました。女の子でした。その姿を見ることはできましたけど、男って自分が痛いおもいをしたわけじゃないので子供が出来た実感ってこみあがってこなかったようです。母子共に健康でしたから 退院後は、しばらく嫁の実家に行ってましたけど 自分も仕事が休みの前に行きます。
はじめて子供を抱いてみるも、なにもかも小さくてどのように抱いてあげるのかも戸惑い怖くて仕方なかったようです。(弟とか姪っ子が生まれたときは平気だったんですが)すこし成長してくるとお風呂にいれたりおむつの取替や授乳などできる事はやったつもりですが、おかあさんはほんと 大変だなぁって思います。
このようなシーンの写真はあるんですが、ほんとに母子共に健康でよかったと感じてます。
寝てるのをずっと眺めて起きないかなぁと思ってたくらいです。
起こしたら、嫁に無茶苦茶怒られますので。
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お風呂も自分とは作りがちがう部分もあるのでどうやって 洗ってあげたらいいのかわからず、嫁にいつも援軍をたのみます。自分たちが食事するときも 交代制になります。
生まれてひと月後に、お宮参りとかイベントもあるのですがそのたびに 慌て、子供の様子がいつもと違うと思うと 騒ぎ立てるという感じでした。母親はその間 なんかどっしり構えてる感が伝わってきました。
とにかく、子供は成長も早くて 言葉というか言う事も思いがけない事を言ったり 行動するので、もうかわいくて 仕方なかったです。特によくしゃべるし 人なつっこいから親戚の人達もほんと かわいがってくれてました。
21歳の時に生まれて27歳の時には小学校入学ですから 20代の時に一番かわいい時をいっしょにすごせたのは今迄の中で僕の一番幸せだった時です。
どこに行くにも大きな荷物を持っていかないとダメになりましたが
今思うとあっという間に時が流れた感じです。当時は毎日大変だったけど
家族の助けがあってこそ、乗り切れました。
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保育園にお迎えに行くも、「おにいちゃんが来た」と間違えられ 子供の運動会などは若いからと優先に選ばれて 走らされ よその子を抱いてまで出場してました。
結局、ひとりっ子になりましたが 男の子も欲しいなと思ってました。嫁の兄の末っ子が男の子でかわいくてほんとに欲しいと思ってまして 努力したのですが実らなかったです。小学生になって 少しするとなんか離れていくんですよね。大きくなってもかわいいのには変わりないんですけど 幼少の時のかわいさは限りないです。
子供の好きなおもちゃでトミーかタカラ(今はトミータカラになったのかな)かどっちかわからないけど「せんせい」という磁石のペン先でスクリーンに描いて、レバーを動かすと消えるというものが あったのですが、いつもこれで絵を描いて遊んでました。使いすぎて1台目はスクリーンとペンの交換部品を購入。本体もダメになったので、新しく買い換えてあげてます。あと、ファミコンを子供が生まれる前からもってたのでディスクシステムとかも購入してましたが、子供が大きくなると遊ぶようになったので使ってましたが、これもアンテナ端子と繋ぐ部品がこわれたので数回買ってます。
絵を描いてて、この部分だけがなんか懐かしくて印象に残ってるシーンです。
耳の中に指をつっこんだりして離れませんでした。
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ゲームとか子供は覚えるのが早くて、僕はもうついていけませんでした。ゲームボーイも買ってあげたんですけど なんか「ロックマン」というゲームを夢中でやってたみたいです(このときはもう小学生ですけど)説明してくれるけど うわの空で聞いてました。最後に買ってあげたのは「NINTENDO64」だったと思います。好きなものは、仮面ライダーブラックのこうたろうさんとニコニコぷんのジャジャマルに、アンパンマンだったと思います。ジャジャマルのぬいぐるみを持ってないと眠らないというような時期がありました。
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