2018/05/11

1963年生まれ32歳から、広島県民になる

日本中にあちこち 仕事があって僕も 色々なところに出張に行き作業員としてやってました。遠くは北海道まで行った事もあります。

現場は、メンテナンスの場合 決まった時期に同じところであるので 同じところに数回行く事もあります。その場合 前来た人をよこしてくれとか指名される事もあるのですが 僕も指名で(仕事が優秀とかからじゃなく慣れてるという理由)呼ばれてました。
そして、同じ会社からいつも指名で呼ばれるようになり 現場の仕事が終わったあと 報告書や 工事写真の整理などで1週間ほど その会社に行く様になります。

その頻度が段々多くなってきて 工事写真も工事の規模が大きくなるとものすごい枚数になるので 1週間では足りない様になったりします。
当時は、L版の写真をDPEでプリントしてもらってやってましたから工事写真帳が2部3部いるとか言われたら 写真は1,000枚以上になったりもします。
その間、やはりビジネス旅館に泊まってるんですが 宿泊費も1週間もなるとアパートを借りれるくらいの金額になってしまいます。会社同士話し合いをしたようで 僕を出向させて欲しいという話が出てきました。
僕はマンションを買ったばかりで他県に移り住むということに抵抗があったのですが 色々と条件をつけられ仕方ないかなと思い、決心しました。
自分がまた大きく環境が変わる時
住むところも仕事も責任感も

ある日、社長に呼ばれ その話をサウナに連れて行かれたときに説得させられます。
当初は、自分の手許に置いて仕事を助けてくれみたいな話で会社に入ったけど 離婚とかもあって 現場に行く様になりそんな事よりも 利益だったのでしょう。
マンションは、九州の会社で面倒を見てくれるということなのでそうしたんですが あとになって後悔します。
とにかく、仕事も詰まってるので 必要な荷物や生活できるものをひとりでトラックに積み込み広島のほうへ 引っ越しました。引っ越し先は2DKのアパートでしたが結構新しく家賃もそう高くはなかったです。
それからは、そのアパートを拠点としてあちこち出張現場にいったりしてます。
そこに行ってからは 作業員には変わりありませんが 主な仕事は現場をみる監督員になってしまいます。現場の作業はほとんどしなくて 写真撮ったりなんか問題があれば 報告して対処する世話係のようなものです。作業服やヘルメットも自分の会社の物を使う事が出来なくなりました。髪も今迄長めでしたが この時メチャクチャ短く切って気を引き締めてます。

見知らぬ土地に行って色々と不便な事もありましたが 案外慣れてしまいます。
そして 時間をみては 今度はパソコンの勉強をはじめました。ノートパソコンはかなり高額で買えなかったので デスクトップ一体型のWindows3.5のCOMPAQ プレサリオというのを買いました。のちにWindows95が発売されるのですが プレサリオには無償のアップグレード券がついてました。インターネットは、まだ電話回線でつないで モデムを使ってやるので 設定も結構大変だったし 表示速度もなかなか表示されなくてたまに 繋いでる感じです。
長時間は電話代がかかるので 気にしながらやらないといけなかったです。
Windows3.5である程度使えるようになってから95にアップグレードし
インターネットにも挑戦してました。

パソコンを買って やりたかったのはまずは 操作を覚える事と絵を描いたりしたかったのですが絵を描くのは なかなか難しくて出来なかったと思います。

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