作業のほうは いつも一緒にやってる人達なのでいいのですが 新設となると色々な問題が発生します。舗装されてないし他の業者との兼ね合いとか色々です。
そして 大きな問題は 初めての仕事なので工程がよくわかりません。工程表を作って提出するのですが 他の業者と被ったりしてその調整とか毎日 頭を悩ませていました。
当然、自分だけでは無理なので工事部門の上司とかに電話連絡して相談しますが、この人も本来は 工事現場に出てやってる人ではないので 段々信頼性が欠けてきました。
「工程に追われる」この時から このことが自分にとってとても重い事になってきました。
それまでも 工程に追われるということはあったのですが 経験があったのと自分でどのくらいでやり遂げれるという感覚を持っていたので間に合っていたので そんなに重いものではなかったけど この時は違いました。職人さんに相談しやれるだけのことはやって間に合わ
ない時は仕方ないと励まされ 毎日 夜遅くまでやって貰いました。
なんでも出来るわけではないけど、
自分の出来るちょっとでも手伝える作業はやってました。
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僕の出来る事は 作業は型枠を作るのを手伝う事くらいしか出来なくて これは手が空いた時に自分のペースで出来るからで 他の問題等があったらすぐにそこに行けるからです。
それから 毎日遅くまで仕事をやって貰ってるから なるべく職人さん達には仕事以外の事で煩わせたくないので 作業着の洗濯や食事の買い出し等 思いつく出来る事はやりました。携帯電話の支払とかも 代わりに支払に行ってました。
その甲斐あって 工程よりちょっと遅れましたが ペナルティも発生する事なく終了しましたが、ここの仕事が終わり頃に 上司がやってきて自分が指示して終わらせたみたいな顔して お客さんのところに挨拶にいってましたが それは職人さん達がやってくれたから出来た事です。
そして次の現場を言い渡されます。帰らずにそのまま同じメンバーで直行という事で 言われたことに従い 岡山の山奥にあるまた 新設の現場に行きました。
1997年34歳の時です。家を出たのが10月で終わったのは翌年の春以降。岡山の現場入りしたのは11月だったと思います。
岡山では、長期ということと場所が山奥なので大人数宿泊する施設もないので 会社はじめてのアパートを数部屋借りてそこに寝泊まりするという方法がとられました。小さい部屋に何人もの人が仕事を終えて寝泊まりするのですが一般の人が生活してるところなので大人数には対応してません。お風呂もひとりずつだし 食事を自分たちで準備してとか 現場までの通勤は片道30km超で山奥なので信号とか交通量が少なかったのでスムーズに出来てましたが 時間は結構かかりました。
問題をひとつひとつ解決していくしかないわけですが 多すぎて無くなる事はありません。毎日6時過ぎには アパートを出なくてはいけないので5時過ぎに起きて 帰ってくるのは段々遅くなってその日に帰れるかどうかまでになって来ました。
このころ 九州の社長から自分の車が壊れてこんな車を貸してもらってましたが
のちにもらい受ける事になりました。
これは夜遅くのアパートに帰る途中の様子です。外灯もなく滅多にない自販機の前でなんか買って飲んでたけど
ヘルメットを取るのも忘れてました。真冬なのに防寒具を着るのも忘れてました。
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仕事の内容は 今回は前の現場よりもっと悪く 初めて使う材料とか工法で計画されてました。設計した人は図面上で考えてるから簡単そうに作業手順を記してましたけど とんでもない問題や落とし穴に遭遇します。材料を移動させる時に使うフォークリフトにしても博物館にあるようなリフトを配給されてやってましたが 舗装されてないので埋まって動かなくなったり それを引っ張り出すために余計な時間と人員を取られます。
それと 大きな現場なので 今迄いたメンバーだけでは人員は全然たりないから 別の業者に請け負ってもらって作業は進められてます。全員の動向をひとりでは 管理できないからと 何度も上司に連絡して 応援を求めましたが ちょっと顔を出しては帰って行くというくり返しだけでした。工期が長いので全く作業者に休日を与えないわけにも行かないので 2週間に1回休みを取ってもらってましたけど 請け負った業者と交互に休みを取るので 自分は休みを取ることが 半年間の間、正月の3日間だけ休みでした。
当然、ここにも工期があるので 前回の悪夢が襲ってきます。
毎晩 朝から晩まで屋外で仕事して 夜になると他の業者やお客さんはいないので
昼間は絶対できない場所で喫煙とか川で用をたしたりしてます。
すでに壊れかけてます。
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会社からかかってくる電話に出るのも怖くなっています。
ここの現場に来て 携帯がだめになり機種変を行った記憶があります。黒いのが壊れたやつ
でも、電話に出るのが面倒で嫌で仕方なかった感じです。
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書けば もっとたくさんの問題があった現場でしたが ようやくここから解放されたのは春から初夏にかけてのことで まわりは今迄とは違うそんな雰囲気を察知してました。
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