2018/05/22

1963年生まれ35才新たに職種をふやす

出向先の会社で 段々 出張工事に行く機会をほぼなくされたので余剰人員扱いでしたが とりあえずそこの所長に気に入られてたので 工事とは関係ない仕事を与えられ 色々と仕事がない日はありませんでしたが 自分自身がなんとなくこのままではいけないって思うようになってきました。
そこの社員ならばそれで よかったんですが よその会社の子ですから ほぼ同じように福利厚生などは受けられましたけど たまに仲間はずれにされることもあります。
割り切りが出来てたからいいのですが 出向先から自分のところに社員にしてあげたいが九州の会社が手放さない限り 引き抜きのような形になるのでできない。そう言われました。

そして 僕はこのまま雑用でいるよりは いつか工事現場に行けたときに役にたつし 自分もやってみたかった製缶の仕事をできるならやってみたいと希望を出します。
この話は出向先の会社にとっても 自分にとってもメリットのある提案でした。
ただし、条件もついて 工事の人員不足の場合はそれもやってもらうという事がついてきました。よほどの事がない限り呼ばれる事はないと思ってましたけど 元請から指名されるということを忘れてました。なんどか短い出張でしたが行きました。
溶接をしてると紫外線が強烈なので日焼け止めを塗って作業しないと
年とってシミだらけになるそうです。なので真っ白になって若い者は作業をしてました。
溶接粉が飛び散るのであちこち火傷します。
製缶の仕事は、初心者なので一からで すでに35才になってましたから若い者優先で仕事を教えていきたいと上司の人に最初に言われました。基礎的な事と仕事の流れをおぼえれるように言われてます。それでもやったことなかった 溶接を習う事が出来ます。
おとなしく 平穏に過ごせたらいいなと思ってました。
まずは 技能講習にいってアーク溶接とガス溶接の終了証を何日間かいって取得しました。会社負担で行かせてくれるので 自分の財産になります。
それまでは、フォークリフトやショベルローダー ホイストクレーン 玉掛など持ってましたが製缶の仕事で問題なくできる様になりました。
ただ 溶接を習い始めたのは工事現場で使う物とは違い半自動の溶接機で 工事現場では使えないなとは 思ってましたけどだんだん 工事の事は頭から離れていき自分には関係ないやって思ってました。

溶接の作業は、冬場はいいのですが 夏場は思った以上に暑くて太ってる人が少ないのもうなずけます。尋常じゃない汗と作業場の暑さで太りかけだった僕もたいして痩せることはなかったけど抑えることは出来たようです。
一番下っ端になったけど おとなしく平穏に過ごす事に心がけました。
若い人のほうが先輩になるので決して出しゃばらないように
夏場は 汗を流して帰らないと下着もびしょびしょになります。
そして、工事現場で味わった工期や責任がなくなった事、仲間がいつもいて自分で抱え込まなくていいようになったことで このときは快適そのものでした。たまに工事現場に連れていかれましたが 面倒なだけでなんの苦痛もありません。
仕事をはなれれば 今迄なかった ビアガーデンに行ったり 健康ランドやカラオケにいったりとか 職場の人と遊べるようにもなりました。
ただ、腰痛はたまにあって仕事を休む事も多々あります。
左手を先について ひねったようでしばらく痛みがなくならず
病院に行くと ギブスをつけられ 着替えとかが たいへんになりましたが
職場の若い子たちが 着替えを手伝ってくれたりサポートしてくれてました。
一度転倒して豪快に転んだことがあるのですが その時 腕をひねってしまい数日 ギブスをつけていたことがあったんですけど まわりのひとが色々面倒をみてくれギブスしてても 出来る仕事をさせてくれ休まずに済んでいます。安全靴の紐を結んでくれたり着替えを手伝ってくれたりほんとに世話になってます。そうなると自分も必然と代わってきました。

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